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第78回 「居ていい場所」というコミュニティー

5人が限界

 「5人以上いたらダメ」、ガーデンパーティーでそう言っていたのは、ぼくの家を建ててくれた「ウエイクホーム」の延藤さんだ。「ウエイク」を英語で書いてみるとわかる通り、和気(わけ)町のホームだ。その延藤さんはとても親切で、今回もバーベキューの焼き物担当を名乗り出てくれた。「50人(実際には子どもたちを入れて60人)も人がおったらよう話せんわ、5人が限界じゃ」と言って、バーベキューを焼く場所に隠れることにしたそうだ。

 家で焼いた竹炭は火力が弱くてダメだった。やっぱり身がぎっしり詰まった備長炭のようなものでないとなかなか焼けない。それでも備長炭を誰かが買ってくるまで、辛抱強く延藤さんが焼き鳥を焼いてくれた。竹炭はやっぱり土作りに使うのがいい。
 

話したくなければ話さなくていい

 5人を超えると多すぎてダメ、という人もいられる空間がいい。別に運動部の強化合宿ではないのだから、「全員参加でないとイカン、ウスッ!」みたいでなくていい。参加した人の中には、影が薄くて誰とも喋らなかったように見えた人もいた。だけど次回もきっと来ると思う。話したくなければ話さなくていい空間は、その人たちには快適な空間だろうと思うからだ。

 気にする人は「ある人も楽しめたのかな?」と心配する。楽しめなかったんなら次の回には来ないだけだ。楽しめたのかどうかなんて気にしなくていい。ただその場にいても良いという場所が必要なのだと思う。

 ぼくの友人でいろんな会議に出て話を聞くのが好きな友人がいる。その友人が一番苦手なのが「あなたはどうでしたか」と聞かれることだと言っていた。

 できれば会話も要らない会がいい。ただ食べて飲んで、目で笑うぐらいでいい。そんな没干渉な集まりがあったらいいなと思う。ただし世間には悪意の人もいるし、信用できない人もいるから「だれでも自由参加」というわけにはいかないが。

居ていい場所

 それと同じようなコミュニティーができないものかと思う。「エコ」は面倒だし、「コミュニティー」は強制的なムラ社会の匂いがする。「ただそのまま居ていいんだよ、そこに座っていれば」というようなコミュニティーがほしいのだ。

 過度な干渉は苦手だし、いるかどうかを確認されるだけでも面倒くさい。ぼくはこうして人と集まるのも好きだが、一人でいるのも好きだ。そして人に気を使われるのも嫌だし人に気を使うのも失礼な気がする。もっとニュートラルでナチュラルな付き合い方ってないものだろうか。これを何と呼んだらいいんだろう。
 ただ「居ていい場所」が作れればいいと思う。
田中優宅BBQの様子
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