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第74回 孤独になる?自給生活

自立と依存

太陽光パネルと温水器と井戸で自給する家
 あるシンポジウムで、我が家は電気を自給し、水を自給し、太陽温水器を入れて可能な限りエネルギーの自給をしていると話したとき、パネラーの一人から「それは危険な発想だ、(会場の人たちに)そう思わないか」と言われた。ぼくはその理由がちっとも理解できなかった。そこで会場にいた友人になぜなのかと聞いてみた。

「個人が全て自立したら関係性が疎かになるのではないか?」と言いたかったのだと思います。彼は「家より大きく、村より小さい」という関係性の共同体の在り方を模索している人なので、優さんの話が完全自立主義に思えたのでしょう」ということだった。

 それでもわからないことがある。「自分でできることは他に依存せずに自分でする」ということのどこがおかしいのだろうかということだ。ぼくは依存するのが嫌いだ。自分の決定権をその部分について失うからだ。電気を自給しなければ電力会社の決定した発電方法で、電力会社の決める契約に則って買わなければならない。そんな依存主義が福島原発事故を招いてしまったのではないか。そう思うと依存関係から脱したいと思うのだ。

完全自立主義=孤立生活?

 もうひとつ思ったのは、否定された「完全自立主義」という言葉が、他との関係性を一切断って孤高の孤立生活を意味しているのかなということだった。つまり簡単に言うと殻に閉じこもって孤独になろうとしているという「危険性」なのかなということだ。

 しかし実際にこんな暮らしをしてみると気付くことがある。いわゆる孤独にならないようにと懸念される人間関係とは、「カネが取り持つ関係が多い」ということだ。もちろんここで自立生活をしていても人間関係はたくさん続いている。最近では地域内でポイントを介在させてする「物々交換」の仕組みを作ったところだ。たくさんの人たちとつながりながら新たな仕組み作りに乗り出している。ちっとも孤独ではない。

 いやむしろつながりが楽しみですらある。それはこれまでのつながりが、「カネの関係」ばかりだったのではないか思えるのだ。人と人の関係を作っていくのにカネのつながりは人間関係を貧困にすると思う。だから人を金銭換算して有益だとか有能だとかいうのではないか。そんな考えの人なら、ぼくの方からつきあいは断ち切りたい。

「カネの関係」からの自立

 確かにおカネはシビアな問題だ。今の社会関係ではカネなしに暮らすことはほとんど困難だ。自立したつもりでも誰かに大きな迷惑を掛けているかもしれない。しかしその価値を測るのは自分でいい。市場原理のような需要と供給原則に従う必要はない。生産した人の暮らしぶりや努力の程度から価格付けしたっていい。特に最初の一つを生み出した人の努力は並大抵ではないだろう。そこに価値づけしたっていいと思う。

 そうしたカネの価値づけを自分たちですること、そしておカネを介在させない相手への思いやりによって経済が作られた方がいい。そして今、ぼくの暮らしぶりで言うと、おカネは自分で価値づけして支払い、おカネを介在させない人間関係が主な関係になってくる。それが心地良い。

 自立を目指すことは人間関係を切ることにつながるのではなく、カネを介在させない人間関係を広げることになると思う。だから「危険だ」なんて的外れな批判に耳を貸すのではなく、自立の幅を広げていきたいと思う。
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