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第142回 取り返しのつかない「湿害」

燃え残りの柱

燃え残りの柱
私の住んでいた岡山の古民家を解体してみたら、焼け焦げた柱が何本も出てきた。
100年近く前に建てられた住宅だから、おそらく明治の終わりか大正の始まり頃に建てられた家だったろう。
つい最近まで「山分け」の仕組みがあり、自宅の薪・焚き木を集めていい山の範囲が決まっていたそうだ。
古くからたたら製鉄に木材が使われ、もともと人間が住む前には火山の噴火口付近だったから山に養分が少ない。
山に木は少なく、アカマツが生える他には木材が不足していたのだろう。
それで燃え落ちた家屋からもらい受けた焦げた木材を柱に使っていたのだと推測できる。

戦後はマツタケの生産で有名な場所だったのも、養分の少ない土地だからアカマツが多かったのだろう。
今は人々がガスを使い、薪炭を取らなくなって森は回復してきている。
森の養分が増えると自然にアカマツは滅んでいき、今やっと雑木林のような森が増え始めているところだ。

「湿害」の防止

決定的に木材に不足していた地域であることもあるが、
開け落ちた後の建物の木材であったとしても使わざるを得なかったのだろう。
しかし、燃え落ちた木でも使えてよかったと思う。

というのは火災が起きた時にとにかく水をかけて消火するのだから、水に強かったから再度使えたのだ。
今年の夏の台風は、いちいち「〇年に一度の」と形容されるほど水害が多かった。
ところが水没したほとんどの家は再生できなくて、廃棄物となったのだ。
なぜかと言うと、今の流行りの建物は合板やベニヤ板で作られ、再度使えそうな材など残らなかったからだ。

もちろん火災の時も放水するので水浸しになるし、
そうでなくても通気性を考えずに断熱しただけの家では結露して、土台の木材を腐らせるほどだ。
要は今の家は水に弱いのだ。
水害なら頷けるが、ただの湿気の高さのせいでも建物が壊れていく。

これを「防火・耐火」のように言うなら、「湿害」の防止がなされていない建物と言えるだろう。

水害地域の大量のゴミ

雨の吹込みで濡れてしまった下駄箱の合板
(雨の吹込みで変形してしまった下駄箱の合板)

ベニヤ板やMDF、集成材や接着剤で固められた住宅は、水にさらされると膨張して元の形に戻らなくなる。
直すことができないから捨てることになる。
水害の起きた地域にはものすごく多量のゴミが出る。
水を吸ったら使えない素材ばかりだから、捨てるしかないのだ。
それに加えて家電製品もまたゴミになるから、家一戸丸ごとゴミになるのだ。
しかし天然素材の無垢の木材で建てられていたらそうはならない。

友人が昨年水害の起きた岡山県真備町にボランティアに入った。
そこで無垢の木材を使っていた家だけは、泥を水で洗い流し、寸法を整えて張り直すだけで建物を再生できたそうだ。
水害が起きるとその範囲全体が再建築ブームとなって人手が足りず、結果建てられなくて困る人が続出する。
ところが洗って再度暮らせる建物なら、人手不足のせいで住めないまま暮らす必要もなくなる。
こうした「湿害」に対する対策も、耐火・耐震に並んで対策が必要になる問題ではないだろうか。

それらの製品化された木材は単に寸法が狂うだけでなく、そのまま湿気を保って腐っていく。
カビがものすごく広がって、奇妙で色とりどりのカビに侵される。
そのカビもまた有害なものも多い。だから我慢して使うことも難しい。

無垢の木材は水で洗い流して、歪んだとしても修復すれば元に戻る。
家一軒丸ごと全部をゴミにしてしまうのとでは大きな違いだ。
しかもクリやヒバのような木材なら水にもとても強い。

湿害には、無垢の木材で対抗するのがいいと思う。
無垢の木材は呼吸しているので、湿度を自分で調節してくれる。
天然住宅仕様で建て直した我が家では、「室内干しの臭い」などない。
木材が湿気を調節してくれているから。
そんなうれしい「おまけ」までついてくるのだ。
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